遺言はなぜ必要か
「うちは財産ないから遺言なんて必要ない。」
「うちは財産ないから遺言なんて必要ない。」という声をよく聞きます。もっとも全くなければ生活できないわけであって、「相続税がかかるほど財産を持っていない。」という意味でおっしゃっているのだと思います。果たしてそうでしょうか。実は相続税がかかるほど高額な財産を持っているかどうかが問題ではなく、財産を①遺したい人に、②十分に、③確実に遺すことができるかが問題なのです。そして、この3つすべてが満たされた状態でなければなりません。面倒でしこりの残る遺産分割協議を回避し、故人の思いに基づく関係者間の実質的な公平を図ることが遺言書の目的なのです。
「うちの家族は仲が良い。相続でもめることなど想像できない。」
いくら遺言書の有用性をお話ししても、「うちの家族は仲が良い。相続でもめることなど想像できない。」と取り合ってもらえないかもしれません。ではこう考えてください。おっしゃる通り相続人である子の仲が良かったとしても、子の配偶者までそうといいきれますか。貴方がいるからどうにかまとまっているだけであって、その中心である貴方を失ったら…。概して子の配偶者の存在で遺産分割協議がもめるケースが多々あると聞きます。逆に、子の配偶者がすごくいい人で、子の死亡後も献身的にあなたの面倒をみてくれたとしても、子の配偶者に子(貴方からすると孫)がいないケースでは、遺言書がなければ相続人でもない子の配偶者には財産を遺せないことを知っていますか。法改正でそのような場合でも特別寄与料を相続人に請求できることとなりましたが、子が存命していたときの子の相続分からすると微々たる額です。
その他にも
さらに、個人で事業を経営したり、農業をしている場合に自分の後継ぎとして中心的に事業あるいは農業をやっている子に自社株や工場の敷地、田畑などを集中して相続させ、それ以外の子にはそれ相応な代償を現金などであらかじめ贈与しておくときなども遺言書が必要なケースといえるでしょう。
遺言書の重要性は高まってきています。
欧米では昔から遺言書を遺すことが前提で法制度が成り立っているといいます。いわゆる「おひとりさま」が増えてきた近年、両親がすでに亡くなっていれば、相続人は兄弟姉妹になるか、いなければ最終的には国庫に帰属してしまいます。ご自身の老後はいうに及ばず自分の死後のこと、遺言書の重要性はますます高まっています。